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映画とドラマ 概要&あらすじ+好き勝手感想文

テレビやネットで視聴した映画とドラマの概要とあらすじ、そして好き勝手に書き散らした感想文です。

「八日目の蝉」(映画)好き勝手感想文「脚本と編集がスゴイよこの映画!」

「八日目の蝉」の好き勝手感想文。「これ、脚本と編集が秀逸すぎだわ!」

 「八日目の蝉」は小説・ドラマ・映画でそれぞれ少しずつ違う!

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この作品は、直木賞受賞作家の角田光代さんが2007年に中央公論新社より出版した小説を原作として、2010年にNHKでドラマ化、さらに2011年に映画化されたものです。

 

わたし、小説も読んだし、ドラマも映画も観ました!

 

それぞれ少しずつ印象が違うのですが、さすが第35回日本アカデミー賞最優秀作品賞・最優秀監督賞(成島出)・最優秀主演女優賞(井上真央)・最優秀助演女優賞永作博美)・最優秀脚本賞・最優秀音楽賞・最優秀撮影賞・最優秀照明賞・最優秀録音賞・最優秀編集賞 と、計10冠を獲得しただけあります。映画作品が一番素晴らしかったと思います。

 

小説、ドラマ、映画の細かな違いをみてみましょう。

 

どれも内容はほぼ同じです。

 

野々宮希和子は不倫相手の妻が産んだ赤ちゃんを誘拐し、日本中を点々としながら赤ちゃんが4歳になるまで共に行動します。逃亡生活の中でも赤ちゃんは育っていき、希和子を「ママ」と呼び慕うようになります。誘拐事件から4年後、希和子は小豆島のフェリー乗り場で警官に逮捕され、子どもは親元にもどされます。

 

小説では時系列順に物語が進んでいきます。

 

第1章では野々宮希和子が犯した事件と、その逃亡生活に焦点が当てられています。第2章では希和子が逮捕された後、成長した恵理菜を主人公にすえて展開しますが、こちらはやや付け足しのように思えました。

 

希和子がなぜこんな事件を起こしたのか、どういう逃亡生活を送ったのか、が中心に描かれているため、ジャンルとしては「サスペンス」に分類されています。

 

ドラマは、ほぼ原作に忠実な作りです。

 

希和子の逃亡劇が細かく描かれます。たどり着いた小豆島で、希和子に思いを寄せる男性が登場し、力になってくれるのが、ドラマ・オリジナルな展開ですね。

 

素性の知れない希和子が職を得るのは難しく苦労する様子や、貧しいながらも必死に生きる姿が現実的に、ていねいに描かれました。

 

事件後、大人になった恵理菜が小豆島を訪れようと岡山のフェリー乗り場に来たさい、フェリー乗り場のカフェで働いている希和子とそうとは知らずに再会します。恵理菜が立ち去った後、希和子だけがそれが薫(恵理菜)だと気がつき、あわてて外にでて「薫!」と呼びますが、恵理菜がそれに気がつくことはありません。

 

映画はかつての事件、事件直後の幼い頃の恵理菜の生活、18歳の現在の恵理菜がクロスオーバーしながら同時進行します!

 

原作では1章が希和子、2章が恵理菜のダブル主人公。ドラマ版では希和子が主人公でしたが、映画版では恵理菜が主人公となっています。

 

早い段階から現在の、18歳の恵理菜を登場させ、希和子が起こした事件、事件後の裁判の様子、事件後の幼い恵理菜の様子を、短いサイクルでクルクル舞台を変えながらクロスオーバー進行していきます。

 

見どころは、3つの時間軸を自在に操った編集技術と脚本!

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わたしは原作も読んでいるし、ドラマも観ています。だから内容はしっかり把握した上で映画を観ています。でも! 

 

映画で初めてこの作品に触れる方に、これ理解してもらえるんだろうか?

 

と、思いましたね。

 

確かに主役を恵理菜にすることで、彼女が背負ってしまった複雑な心の葛藤を描くことができる面白さはあります。しかも、若い主役を据えることで、華も演出できます。でも、そのためにはなぜこういう状況に陥ってしまったのかという、複雑な過去の事柄を延々と説明しなければいけません。

 

実の父親が不倫の末に愛人を妊娠させたこと。実の母親は夫の不倫を知っていて、希和子をストレスのはけ口に嫌がらせを続けていたこと。希和子が起こした誘拐事件。希和子との逃亡生活は恵理菜にとって幸せな時間だったこと。いきなり実の両親のもとに帰された恵理菜は馴染めず、希和子のもとに帰りたがって母親のヒステリーを増長させていたこと。

 

時系列順にいけば、これらを説明したうえで、はじめて18歳の恵理菜の現状が語られるべきなのです。でも、そんなことをすれば、18歳の恵理菜が登場するのはいつになってしまうのでしょう? 映画が半分以上すぎてからでしょうか? それでは観客は退屈すぎますよね!

 

そこで、時系列を無視して、18年前の希和子が起こした事件とその後の逃亡生活、恵理菜が実家に戻ってから後のこと、18歳の現在の恵理菜の生活が、短いスパンで切り替えながら同時進行していくという力業に出たのですね!

 

同時進行することで、早い段階から主人公を出すことができるし、過去の説明ばかりで観客を退屈させずにすみます。でも、とても複雑で分かりにくい作品になるリスクはかなり大きいです。

 

それをやってのけたところが、この作品最大の見どころでしょう!

 

この構成で十分伝わるものに仕上げた編集と、脚本が秀逸だったからこそなしえた偉業だと思います!

 

脚本家は奥寺佐渡子さん。

 

細田守監督のアニメーション映画作品「時をかける少女」、「サマーウォーズ」、「おおかみこどもの雨と雪」を書き上げた方です。実力者ですね!

 

「八日目の蝉」とは?


mother daughter / Paul J Everett

小説では「八日目の蝉」=母親/テーマは「母性」

原作者の角田光代さんの対談をどこかで読んだことがあるのですが。角田さんは、「自分の描く作品のテーマがいつも分からない」という話をされてました。書き終えてやっと「あぁ、わたしはこういうことが描きたかったのだな」と理解できるのだと。

 

小説「八日目の蝉」のテーマは「母性」だろうと思うのです。逃亡者目線の逃走劇が見どころのようになっている印象があり、wikiによると作品ジャンルは「サスペンス」となっていますが、筆を置いてみたときに作者が感じた本作のテーマはきっと「母性」だったろうな、と。

 

「八日目の蝉」という意味深なタイトルも、そのまま産卵をするためにオスよりも長く生き残ったメスの蝉という意味合いのようです。

 

オスの蝉は7日で死んでしまうけれど、メスは産卵のためにもっと長く生き残るのだそうです。「八日目の蝉」=「母」ですよね!

 

小説では愚かな産みの母親と、犯罪者ではあるけれど優しい育ての母親を対比させることで、「母親」とは何なのかを読者に深く考えさせる作品構成になっています。その狭間で揺れる娘の存在も描かれていますが、こちらは十分に描き切れなかったような印象があります。

 

ドラマでは、逃走劇の方に力点が置かれていて、テーマ性はあまり前面に出ていなかったように記憶しています。確かにハラハラする展開なのですが、この作品は本当に逃走劇だけで終わっていいのだろうか・・・と、わたしですら少し不満に思った覚えがあります。

 

映画では「八日目の蝉」=異端者/テーマは「恵理菜の心の葛藤と昇華」

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小説やドラマでやや不満を感じたわたしは、映画では完全に納得させてもらえました。

 

映画ではヒステリックな本当の母親と、自分勝手な犯罪者の育ての母親という二人の、どちらも好きになれない母親をもつ「恵理菜の心の葛藤と昇華」がテーマになっています。

 

最後に心情が吐露されますが、恵理菜からすれば、産みの母親も、犯罪者ではあるけれど4年間育ててくれた希和子も、どちらも憎みたくなかったのです。さらに、すべての原因を作ってしまった、世間的にはもっとも責任を問われるべき父親も憎みたくはなかったのです。

 

生まれたときから親を憎む子どもはいません。子どもは、親であれば間違いなく愛し従います。でも、そうしないのは、そうできないのは、生まれた後からの理由づけがあってのことです。恵理菜の場合は、父親の不倫の末に希和子が起こした誘拐という犯罪でした。そのために実の母親との信頼関係が築けないでいるのです。もちろん父親にも愛情を感じることができません。

 

それは、とても不幸なことです。結局、大人の感情のもつれの末に起こした事件の、一番の被害者は子どもの恵理菜なのです。でも、恵理菜は、ただの可哀想な被害者ではありません。その複雑な思いを共有できるからこそ、観客はラストで涙するのです。

 

すべては希和子のせいだと母親は言い、理性的に考えれば確かにそうだと恵理菜自身も思います。でも、抑圧し忘れるよう努力してきた幼い頃の思い出にふれるにつけ、恵理菜は希和子に愛され慈しんで育てられた日々を確信します。

 

犯罪はこの際置いておいて、自分が間違いなく溢れんばかりの愛情を受けて育てられたのだと信じることで、それまでの迷いが消えたのです。

 

ただ、恵理菜は愛され、愛したかった。それだけだったのです。

 

自分は愛されて育ったのだと確認できた恵理菜はもう迷いません。他の人と少し違った状況で子どもを得た希和子だけれど、他の人と同じように自分を愛し抜いて育ててくれたのです。愛情において、他の母親と少しも違いはないのです。恵理菜は、間違いなく愛されて育ったのです。

 

さまざまな事情から、親を愛せない罪悪感を抱いている人は多いと思います。そんな人々の心の叫びをこの映画は癒します。みんな、本当は親を愛したかったし、親に愛してほしかったのです。そんな、心の奥底に隠した本音を恵理菜がスルリと口にするから、心揺さぶられるのです。

 

小説やドラマでの「八日目の蝉」は「母親」を象徴していましたが、映画での「八日目の蝉」は、少し意味合いが異なるように思えます。他の人と少し異なる状況で子どもを得た母親、または他の人と少し異なった状況で育てられた子ども。つまり誘拐で子どもを得た希和子や、誘拐犯に育てられた恵理菜をさしているように思えるのです。どちらも異端者です。映画での「八日目の蝉」は、異端者をさしていると思えます。

 

誘拐は決して許されないことだけれど、希和子の薫への愛情は他の母親と同じ本物。そして、たとえ誘拐犯であっても母親として慕って育った恵理菜が希和子に感じる愛情も他の子どもと同じ本物。

 

たとえ異端者であっても、親子の愛情に嘘偽りはないのだ

 

ということではないでしょうか。

 

誰だって、存在していていいんだよ

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罪を犯した希和子は、普通の7日で死んでしまう蝉とは異なる異端者です。誘拐犯に育てられ実母を愛せない恵理菜もまた異端者です。恵理菜の子どもも「不倫の子」または「父なし子」のレッテルが張られた異端者になることでしょう。

 

彼ら異端者には存在価値がないのでしょうか? 皆と同じでなければ存在価値がないのでしょうか? 行く末は、どうせろくでもない人生と決まっているのでしょうか? 

 

いいえ、希和子が小豆島で短いけれど美しいときを得たように。薫(恵理菜)も青い海と空と愛情にあふれた優しいときを過ごせたように。異端者だって世界じゅうの美しいものを見、愛情に包まれて育つことはできるのです。

 

誰だって、存在していいはずなのです。

 

恵理菜は最後、自分が心から愛されて育ったことを実感することで、自分の存在が許されたように感じたのでしょう。異端者でも、こんなに愛情を注いでもらえる、美しいものに包まれて育つことができる。だから、

 

生まれてきてよかった!

 

、と。恵理菜はここに至りようやく心が満ちて、愛したい人を愛そうと思えたのでしょう。事件のせいで上手く自分を愛せないでいる実母も、すべてのきっかけを作ったやや頼りない父親も。もちろん希和子も。自分にとって家族とも言える皆を愛そうと。

 

恵理菜が変わることで、両親の心の氷も時間をかけて溶けていくのではないでしょうか。

どうでしょう? そう簡単にはいかないでしょうか?

現実には、そう簡単に行かないでしょうね。

 

でも、確実に恵理菜は前に向かって歩き出しました。

わたしたちは、皆その目撃者なのです。

 

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オススメ度★★★★★

星5つ。満点です!

長くなってしまうので省略しますが、映像や役者さんの演技も素晴らしかったですね!